ゴルドベルク変奏曲

「ゴルトベルク変奏曲」との付き合い その3

私は6歳からバッハを弾いています。
ト長調のメヌエットなどを、「歌って!」「左右どちらも聴いて!」と先生から言われ続け、舞曲や協奏曲などはあまり抵抗がなかったのですが、「平均律曲集」はどう弾くべきか悩むことが多々ありました。

バッハを演奏する時の自分なりの軸(どのような演奏を目指すか?)が見えてきたのは、20年ほど前にヘンリク・シェリングが演奏するバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタを聴いた時です。
音の1粒1粒が美しく、ヴァイオリンのボーイングで生まれてくる旋律の流れ、歌い方に惚れ惚れして、「私が目指すバッハはこれだ!」と思ったのです。
高橋アキ先生のレッスンでは、ともかくレガートの奏法を要求されていたため、旋律を歌うことを実現するやり方はかなりわかっていたので、どう歌うかを試行錯誤していました。

あとは多声の旋律の組み合わせ方です。どのようなバランスで弾いていくか?です。
アキ先生に「1音、1音確認する」とよく言われていましたが、これも試行錯誤する中で少しずつ自分なりの形が見えてきました。
そして、拍子感やテンポ感ですが、今回の「ゴルトベルク変奏曲」の録音前に参考にしたのは、チェリストのカザルスが指揮したブランデルブルグ協奏曲の生き生きした演奏でした。
できるだけ“拍子をとっていく指揮”を感じつつ、弾いていこうと思ったのです。
やってもやっても自分の足りなさを突きつけられながら、それでも飽きることがない曲、それが「ゴルトベルク変奏曲」だったのです。

「ゴルトベルク変奏曲」との付き合い その2

「ゴルトベルク変奏曲」はグレン・グールド、カール・リヒターをはじめ、多くのピアニストやチェンバロ奏者がCDやレコードを残しています。
また、研究書や解説書も多く出版されています。

「ニューグローヴ世界音楽大辞典」の第16巻の「変奏曲」の項目に、「ゴルトベルク変奏曲」について簡潔にまとめられた解説があります。

<フーガの技法>がおそらく(変奏曲の)1つの伝統的なタイプの究極的な形を表すものといえるように、<ゴルトベルク変奏曲>もまたバaス骨格を用いた変奏曲の発展の芸術的頂点を示すものである。
この曲の中には、カノン(第3、第6、第9変奏など)、舞曲風な曲(第4、第19変奏)、インヴェンション(第1、第22変奏)、コンチェルト楽章(第13、第25変奏)、トリオ・ソナタ楽章(第2変奏)、フゲッタ(第10変奏)、序曲(第16変奏)、トッカータ(第29変奏)、クォドリペット(第30変奏)が含まれ、対位法的テクスチュアと協奏曲的テクスチュアの統合体となり、また、イタリア、フランス、ドイツの形式の統合体ともなっている。
さらに、この多面的な作品は3つめごとの変奏曲が(順次同度から9度までの)カノンを成すこと、アリア自体が最初と最後に現れること、曲の後半が序曲で始まること、といった秩序に支配されているのである。

このような小宇宙のような曲1つ1つを、どういうテンポで、どのような色合いで弾くのか、そして1つの変奏曲としてのまとまりのある曲にするか、ということを模索していく日々が続いていきました。
というのも、バッハの楽譜には、テンポや表情記号がほとんど無いからです。

私はカーク・パトリック版の楽譜に書いてある速度や曲の解説をだいぶ参考にしました。
とは言え、違和感を覚えるものもあって、何枚ものCDを何度も聴いてみました。
けれどもゴールドベルク変奏曲は32曲で成っている曲なので、全ての曲が自分にピタっとくるものは無く、最後は、基本は押えつつ、自分の感性で曲を作ることに決めました。

録音しては聴き、録音しては聴きを繰り返していくうちに、例えば第3変奏は「優しく、きれいな曲なのだ」と気づいたりして、1曲1曲の色合いを確定していきました。
その過程で、「ゴルトベルク変奏曲」は暮らしの中でふっと想いにふけったり、クスクス笑っていたり、悲しみを切々と歌ったり、活気に満ちたり、と様々な情景とその時の感情をつづっているのでは?と思うようになりました。
そのため、1曲ごとにタッチを変えたりして色合いを変えていくことを目指したのです。

「ゴルトベルク変奏曲」との付き合い その1

私が「ゴルトベルク変奏曲」にのめり込んだきっかけは、2013年にルーテル市ヶ谷センターホールで開いた「バッハの夕べ」というリサイタルのアンコール曲として、ふと思いついてアリアをさらい始めたことでした。

このアリアは後妻のアンナ・マグダレーナのためにバッハが編集した「楽譜帳1725」に入っていて、後日、それをバッハは主題として「ゴルトベルク変奏曲」でも使っています。
アンナ・マグダレーナはきれいなソプラノの声楽家だったそうで、たくさんの子供をもうけたほか、バッハの浄書稿や筆写譜の作成に協力したそうです。
明るいト長調でたくさんの装飾音がついているアリアに、私は、気持ちの良い晴れた日に美しい声のアンナが朗々と歌っているイメージを持ちました。
ただ、テンポを崩さず、歌のビブラートのように装飾音を弾くのは、大変難しかったです。
 
アリアを練習しつつ、つい次の第1変奏を「どんな曲かしら?」とさらい始めたところ、第1変奏は跳躍が大胆ながら楽しいはつらつとした曲で、「次は?」「次は?」と楽譜をめくっていく中で、最後までやめられなくなってしまいました。
簡単には弾けないのにやめられないというのは、この曲が何か魔力をもっているのでは?と何度も思いました。
バッハの作曲技法は対位法と言われ、いくつかの声部の旋律が模倣したり、呼応したりしながら、結果的に縦の音の響きもできていきます。
「ゴルトベルク変奏曲」はその旋律がうねうねと上がったり、下がったりすることが多く、上の声部が下の声部の下に降りてきたり、下の声部が上の声部を超えたりすることも多く、それが3本の声部で行われると、それぞれの旋律がどうからんでいるのかを掴むのがとても難しいです。
その上、本来2段鍵盤のチェンバロで弾く曲を1段鍵盤のピアノで弾くので、指の交差、手の交差で苦しい箇所があり、最初は「無理なのでは?」と思うこともありました。
 
そんな時、素晴らしいピアニストのペライアがゴルトベルク変奏曲のCDのブックレットに「誰でもジレンマに陥る曲だ」と書いているのを見て、ペライアでもそうなら、と励まされたことは今でも心に残っています。

「ゴルトベルク変奏曲」のCD発売の反響

CDが発売されてから、たくさんの方たちからお手紙、電話、メールなどでご連絡をいただきました。
最初のコメントは(従兄弟なのですが)「何回も聴いて、是非ともアリアなどを自分が所属している合唱団で歌いたい」という内容で、びっくりしました。
ソロで歌うならそれもあり!とは思いましたが。
でも、ついアリアを口ずさんでしまうということは、とてもうれしいことでした。
その後、たくさんの方たちがおっしゃった言葉は、「完成おめでとう!」の後に「ピアノの音がきれい」、「癒される」、「ほっと安心する」、「気持ちが落ち着く」、「リラックスする」などで、不安症の方も落ち着かれてくるともお聞きしました。
私としてはそのような効果をねらっていたわけではないので戸惑いもありましたが、私自身、練習中に録音したものを聴いていて思わず疲れて居眠りした後、目覚めると不思議と気持ちよくなっているので、「この曲は何かそういう力があるのかしら?」と思っていたことは事実です。
(不眠症に悩むカイザーリンク伯爵からの依頼でできた曲と知られているため、眠りにつける曲のように思われたりしますが、そうではなく、眠れないと鬱々している気持ちを落ち着かせ、元気にすることを狙っていたのかもしれないと思い始めています。)

CDが出来上がる前は、「長すぎるのでは?」とか「難しすぎると感じられるのでは?」と危惧していましたが、聴いてみたら私自身一気に全曲を聴けて、繰り返して聴くこともできたのは、うれしい誤算でした。
それには、録音、製作をしてくださった小島さんの力が大きいと思います。
一方で、このような変奏曲を作ったバッハの偉大さにあらためて感服しました。